2号機を探せキャンペーン
日ポリ化工の原点、2号機。今、60年前の風呂を捜索する意味。

日ポリ化工の創業当初である1960年代。まだ銭湯へ足を運ぶのが当たり前だった時代に「内風呂」という癒しと豊かさを、各家庭に届けることを目指しました。その象徴が、日本初のFRP製洗い場付きポータブルユニットバス「2号機」です。
開発の裏側には、凄まじい「探求と試作」がありました。重すぎて実用化できなかった木製の初号機の失敗を糧に、当時未知の素材だったFRP(繊維強化プラスチック)に挑戦。その結果、玄関やリビング、あるいは押入れの中といった住まいのわずかなスペースに「置くだけ」で浴室が完成するという、驚異的なポータブル性能を実現したのです。
この「未知の素材や技術を探求し、新たな価値を創造する」という姿勢こそが、日ポリ化工を今日まで牽引してきたDNAの礎。未来を展望するために、まず自分たちの原点を深く知る。「60年前の風呂、探しています」2号機の捜索は、そうやって始まりました。
梅田駅、駅時計、バスのラッピング。寄せられた、1枚の写真。

捜索は、街を巻き込んだ「本気」の広告キャンペーンとして展開されました。梅田駅の連貼り巨大ポスターや駅時計には「60年前の風呂、探しています」「お風呂の文化遺産」「買取り」という力強い文字。
発見者には当時の販売価格を現在の価値に換算した対価を支払うという「本気度」も表明されました。「汚れや傷みを問わず、大切な原点として回収したい」。SNSや専用フォームには続々と情報が寄せられましたが、その多くは後年に登場した類似品でした。
「やはり60年の月日は長すぎたのか……」。プロジェクトメンバーに不安がよぎる中、平山の元に一通のメールが届きます。添付された写真には、送り主のご実家の片隅に、あのカプセル型のシルエットが静かに佇んでいました。それは、間違いなく私たちが探し続けていた「2号機」そのもの。かつてトラックでお風呂を届けて回った、創業者の「生活革命」への執念が、時を超えて再び姿を現した瞬間でした。
60年分の日常が詰まったカプセル。2号機、発見される。

現地で平山らを待っていたのは、半世紀以上の時を超えてもなお、堅牢な構造を保ち続けていた2号機でした。当時の人々にとって「家にお風呂がある」という夢を叶えた、まさに、お風呂の文化遺産。
この2号機の誕生から今日に至るまでには、日ポリ化工が歩んできた技術革新の系譜が凝縮されています。断熱と環境対応を両立した「セレマス」、高級浴室を彩る「人工大理石壁パネル」、さらには温熱研究から生まれた高濃度人工炭酸泉製造装置「Cidre(シードル)」。
これらはすべて、日ポリ化工の現場で日常的に繰り返されてきた「探求と試作」の延長線上にあります。現場でアイデアが飛び交い、不可能を可能にするまで、ひるまず開発を続ける。それこそが、今日まで脈々と受け継がれてきた日ポリ化工の「仕事の流儀」なのです。
1件でも多く、内風呂を普及させたい。回収現場から当時の熱量が伝わる。
2号機の回収当日は、テレビ局も取材に訪れるほどの注目を集めました。駆けつけた社長の中塚も、自身が生まれる前から現存する2号機と、それが実際に使用されていた環境を目の当たりにすることで、自宅で入浴することを「当たり前」に変えた、まだ無名だった頃の日ポリ化工が成し遂げた、挑戦の重みを噛みしめました。
「これが、1960年代の『新しい風呂文化を創る』だったのでしょうね」丁寧に分解され、搬出されていく2号機をじっと黙って眺める中塚の脳裏には、当時この家にも、周囲の団地にも、続々と搬入されていく時の2号機の姿と、血気盛んだった創業期の先人たちの姿がオーバーラップしていました。
かつて「置くだけ」の風呂で生活を変えたDNAは、今、風呂を心身の健康を育む「メンテナンスドック」へと再定義しようとする新たな価値創造へと繋がっています。
奇跡的に発見された2号機は、単なる過去のアーカイブではありません。創業100年に向けた第二創業期を突き進む日ポリ化工にとって、ビジョンをさらに前進させるための大切な道標として、より多くのことを教えてくれる何よりの教材でもあるのです。
このプロジェクトを通じて

驚くべきことに、発見された2号機は今なお実用に耐えうるほどの堅牢な状態を保っていました。1960年代から、私たちはすでにユーザーが求める「ロングライフなものづくり」を体現していたのだと、自社への深い誇りを感じました。また、大規模な広告キャンペーンやメディア取材を通じて、これまで日ポリ化工を知らなかった方々へ私たちの想いを届けられたことも大きな手応えです。「60年経った今も、どこかに現存しているだろうか」と、内心は最後まで不安でいっぱいでしたが、原点を再発見し、未来へと繋ぐ確かな一歩になりました。
経営企画
平山






