APAホテル
「いけるやろ」の一言。トップ同士の共鳴が引き寄せた巨大案件。

物語の始まりは、アパホテルが掲げる独自の「新都市型ホテル」の思想と、日ポリ化工のユニットバスが誇る「特注ものづくりの技術」との出会いに遡ります。
業界の常識では『2万台以上なければ生産合理化できない』と言われていた2,000台の特注依頼を、先代社長である伊三郎は『いけるやろ』の一言で引き受けてしまったんです」と千尋は語ります。
日ポリ化工にとっても、ハンドレイアップ(手作業)でこなす量としては未知の領域。当初、東京で営業担当を任された千尋は、強烈な向かい風の中にいました。
「それでも図面を携えてアパホテル本社へ通い続け、少しずつ現場の信頼を勝ち取っていきました。アパグループ代表と伊三郎、強烈な個性を持つトップ同士が波長で握手したところから、この巨大プロジェクトは動き出したのです」
卵型バスタブと隅切り構造。「1室でも多く」ホテルを勝たせる設計。

開発の大場は、アパホテルの浴室に込められた「進化」の歴史を語ります。
「アパホテルの創業期から培われてきた徹底した合理性の追求は、やがて二代目社長が掲げる『1ホテル1イノベーション』という思想へと受け継がれ、アパホテルは今なお絶え間ない進化を続けています。その中で日ポリ化工が挑み続けてきたのは、限られた客室スペースにおいて、いかに顧客満足度を最大化するかという命題でした」
見た目も特徴的な「卵型バスタブ」で、ゆったりと快適な入浴を実現させたほかに、ユニットバスの寸法内に各部屋の配管スペースを収める「隅切り構造」を考案することによって、居室空間を広くしたり、1フロア内の部屋数を1部屋でも多くレイアウトすることを可能としました。その発想はさらに、間仕切り壁の柱を不要にする「スタットレス工法」へと進化。日ポリ化工による浴室内の省スペース技術は、そのままホテルの収益性に直結しています。
数万室分の躍進を予測。金型生産への切り替えという大英断。

プロジェクトが加速し、受注が伸び続ける中で、伊三郎は再び大きな決断を下します。今後のアパホテルの多店舗展開を予測し、手作りのハンドレイアップ工法から多額の投資が必要な「金型による生産体制(プレス化)」への完全移行を決行したのです。
「あの時点の判断がなければ、直後に続く横浜(2,300室)や両国(1,000室)といった巨大案件の納入スピードには到底対応できていませんでした」と千尋は語ります。
高品質な製品を安定して、かつ迅速に供給できる体制をいち早く整えたことで、日ポリ化工のアパホテルオリジナルユニットバスはビジネスホテル市場における圧倒的な地位を確固たるものにしました。
量産が鍛え上げた、ものづくりの「背骨」。

今でこそ日ポリ化工といえば高級特注ユニットバスのイメージが強いが、実はこの「アパホテルオリジナルユニットバス」の特注商品の量産こそが、組織全体の地力を底上げしてきました。
「定常的に数千、数万という数を、高い品質を維持しながら納品し続ける。この繰り返しが、製造現場の精度を磨き、清掃性や耐久性に優れた素材ノウハウを蓄積させました」と大場(慎)は分析します。
「特注で培った『対応力』と、量産で磨いた『合理性』。この両輪があるからこそ、私たちはアパホテルの『常に進化し続ける』という要求に応え、現在も約80機種にも及ぶバリエーション展開を可能にしているのです」
このプロジェクトを通じて

「多岐にわたる進化を止めないこと。アパホテルが追求する合理性と、日ポリの技術がシンクロした時、客室向け浴室のスタンダードが変わりました。量産体制の構築が現場を強くすることを、このプロジェクトで学びました」
開発
大場(慎)

伝説的な代表と2人きりでお風呂の検査をしたり、トップ同士の交流に立ち会えたり……。アパホテルとの歩みは、営業としての調整能力を磨いただけでなく、『最後は人の信頼である』という、ものづくりの原点を教えてくれました
営業
千尋






